1910年代の京都市は、大正7年の隣接町村編入、大正7年以降に顕著になる京都市外資本の銀行・会社の進出などにより大きく変貌した。大正期前半においては隣接町村の人口増加が強調されてきたが、京都市も同じ規模の人口が増加していた。そうした状況を現住家屋数からとらえ、銀行・会社の進出による土地利用の変化を追った。その結果、京都市中心部における現住家屋数の増減が少なかったこと、烏丸通・四条通といった中心街路から入った地区では銀行・会社の進出による住民の大きな移動は認められなかった、しかし、一部の区画で土地の細分化が始まっていたことが確認できた。