本稿では戦時下鳥取県における軍事扶助法の展開を、法施行当初を中心に明らかにした。第1に鳥取県では軍事扶助法の施行当初においては、その受給は遅々として進まなかったが、方面委員の活動や地元新聞による宣伝もあって一定程度、進んだことを明らかにした。第2に、しかしながらそこには受給を恥とみなす風潮が根強くあり、必ずしも扶助を積極的に受け入れたとはいえなかったことを指摘した。こうした恥意識は根強く、それは一般救貧法制の対象者への蔑視に基づくものでもあった。最後に、受給=恥意識は、扶助を受けないことを美徳と捉える意識の形成と表裏一体であったことを指摘した。(p.153-p.172)