本稿は、明治末期から成立してくる国家的規模での救済体制の形成過程を、鳥取県で救貧事業を展開した奨恵社(1882-1951)に焦点をあて検討したものである。第1に奨恵社が全郡的結社であったことを確認し、第2にそのメンバーには「憂国に真情」といった国家主義的な思想がみられたことを指摘した。そして最後に、そうした思想的基盤ゆえ奨恵社には、救済体制の形成に寄与することを通して、積極的に国家に貢献しようとする姿勢が強くみられたことを明らかにした。(P199~P225)