本稿では、日本におけるコメニウス受容の歴史を再考した。 近代以前に日本に流入した書籍目録の調査の限りでは、18世紀前半に漂流漁師ゴンザが『世界図絵』を翻訳した以前の出来事は見出されなかった。しかし、コメニウスの友人ヨハネス・ヨンストンとコメニウスの論敵ロデウィク・マイエルの作品は、日本における西洋研究の発展において重要な役割を果たした。 また、コメニウスの作品が18世紀前半までに日本で受容されなかったと考えられる半面、儒学者の中村惕斎が編纂した絵入り教科書『訓蒙図彙』は、封建的鎖国政策にも関わらず17世紀のうちにヨーロッパに伝わった。 19 世紀半ばに日本で編纂されたヨーロッパ語彙集『三語便覧』の語彙の分類原理は、ヨーロッパの同様の語彙集の影響を受けている。コメニウスのパンソフィアの基本原理である「神の三書」は、そうした語彙の分類法に哲学的基礎を提供したと考えられている。 「三才」の原理に基づく儒教の分類法に親しんでいた日本の知識人にとって、コメニウス由来の分類法は意外なことに馴染みのないものではなかったかもしれない。