本論文は、戦前の日本における J. A. コメニウスの言説の包括的な調査の一部である。 19 世紀半ばの日本で国民国家形成の主要な手段の 1 つである国民教育制度が確立されたとき、17 世紀のチェコの思想家であるコメニウスは近代教育の先駆者として紹介された。 日本における西洋教育の受容をより深く理解するために、コメニウスの受容過程をより詳細に検討することには意義がある。
1945年までに発行された主に教育関係の書籍や雑誌を調べたところ、これまでの調査では触れられていなかったコメニウスに関する記事が20件以上発見された。 この一連の論考では、それらを列挙し、コメニウスの解釈が変化し、多様化した過程を再考する。本論文では、1929 年から 1930 年の期間に掲載された記事と書籍を扱い、教育者であり教育行政家であった鎌塚扶 (1896-1985) について特に考察した。