中原中也の京都時代の交友関係から、この時期に中也が読んでいた新興芸術書を特定し、検証したところ、当人の手によって詩的履歴書に記されているダダの受容の内実について、その理解の中に表現主義の思潮が混同されていたこと、それが無意識裡に受容されていたことを実証した。そのうえで、当時演劇を中心に日本で話題となっていた表現主義の受容状況に加え、京都での中也の交友関係から浮かび上がってきた〈演劇〉という芸術形態が、後年の中也の詩業に与えた影響について考究した。