新興芸術が次々と移入される時代における、日本の芸術家たちの懊悩の体現者ともいえる、洋画家・岸田劉生の〈卑近美〉という晩年のアイロニカルな美学と、同じく東洋と西洋の狭間で自身の芸術の目指すべきものを模索していた富永太郎の美学の共通性を、中原中也記念館と神奈川近代文学館所蔵の未刊行資料及びスケッチ等から、実証的に論証した。同時に二人に共通するこの美学の背後にある、複雑な時代の内実について考究した。