日本において,死生をめぐる心理学的視点からの実証的研究を概観すると,遺された家族の死別後の研究に焦点を置いたものが多く,死に逝く過程についての研究はそれほど多くない。しかしながら,「生」と「死」を巡る問題を考えるとき,死に逝く過程を抜きにして語ることは,本人不在の「生」と「死」を語っているのと同じではないだろうか。また「生」と「死」を捉える際,本人,家族,医療者といった人称の違いによって,その捉え方は異なる。そこにズレが生じている可能性があり,死生の現場には様々な齟齬や感情の葛藤が現れているのではないだろうか。病院での死が当たり前となり,死に逝く過程は基本的に医療にゆだねられている現代ではあるが,本人が主体的に選び取る死も少しずつ実現可能になっている。また,以前であれば「死」を意味していた病であっても,現在では,医療技術の発展により,回復し社会復帰することは珍しくない。病と共存していく時,「生」や「死」はどのように捉えられるのだろうか。そこで本シンポジウムでは,「死に逝く過程」を中心に据え,死別後,遺された人の中で始まる「生」と「死」だけではなく,存在として在る時点から始まる本人や家族,医療者それぞれが捉える「生」と「死」について考えたい。本人や家族,医療者が「生」と「死」をどのようにまなざし,捉えているのかを考える中で,死を意識しながら生きることを再考した。