光明皇后御願経の「五月一日経」の一部として書写された聖語蔵本『宝雨経』には、則天文字が使用されている。本稿では、それら則天文字の使用状況から、聖語蔵本『宝雨経』の原本は長寿二年(693)九月から延載元年(694)十月までの約一年の間に書写されたものであったことを明らかにした。さらに、敦煌やトルファンで発見された『宝雨経』写本にも同様のことが指摘できることから、同経は訳出後まもなく天下諸州に頒布するために宮廷の写字組織によって大量に書写されたと推定した。