儀鳳年間に、長安の光宅坊で感得された仏舎利が全国に頒布されている。小論では、まず西安碑林博物館所蔵の開元十二年「仏堂銘幷序」もまた、儀鳳年間の舎利頒布事業を裏付ける史料とみられることを紹介する。さらに、敦煌写本『大雲経疏』S.2658とS.6502において、則天武后が八百四万舎利塔を造立せんと発願し長安光宅坊で感得した舎利を四天下に頒布したと記すこと、阿育王が転輪聖王のうち最も位の低い鉄輪王と見做されていたことに着目し、武后のこの発願内容は自身が阿育王を凌駕する存在であるとの意識にもとづくことを指摘する。