唐以前に遡る初期の西方浄土変作例として南響堂山石窟の浮彫二点を対象とし、現地調査により作成した描き起こし図をもとに図様の概要を明らかにし、所依経典や思想背景を考察する。その結果、必ずしも『観経』の経文そのままを忠実に造形化しているとまではいえないものの、浄土往生のプロセスを示現した往生者表現や空中を舞う楽器は『観経』に説かれる観念がなければあらわしえないような図像であることを指摘し、北斉仏教での『観経』の受容に論及する。