日本の救済制度における国家の役割をひも解くために、国家に一定の責務を持たせる新たな救済制度が明治後期に初めて要請され、それが事実上救済行政を主導する内務官僚の間で構想された点に着目し、当時の内務官僚が導こうとした救済政策の方向性を分析した。当時、政府や国会、内務官僚の間で活発な議論が展開されたものの、救済の国家制度化は拒否され、慈恵主義の存続が選択されたことが明らかになった。