日本の浄土宗では、伝宗伝戒道場(加行)の満行をもって、一人前の浄土宗僧侶となる。この制度は、浄土宗第七祖了誉聖冏が制定したものである。聖冏は五重相伝の制度を確立し、弟子の酉誉聖聡に対して相伝した。この制度の確立によって、浄土宗の僧侶を、同一形式で統一して養成することが可能となった。この五重相伝は全百十四日間の日程で行われ、その期間中の百日間、浄土三部経、善導「五部九巻」、法然『選択集』、曇鸞『往生論註』、道綽『安楽集』、源信『往生要集』、聖光『西宗要』、良忠『東宗要』等の講義が行われた。中世浄土宗教団においては、これらの典籍を用いて僧侶養成の教育がなされていた。この僧侶養成教育は、法然がその門弟に対して行ったものではなく、浄土宗第二祖の聖光が第三祖の良忠に対して行ったものが原型である。良忠は聖光から、善導「五部九巻」、『論註』、『安楽集』、『選択集』、『徹選択集』、『往生要集』、『十二門戒儀』を読み伝えられた。次に良忠が弟子たちに施した教育も同様であったと考えられる。良忠の著作には、良忠が聖光に教育された典籍に対する注釈書が多数存在する。それらの著作は、机上の解説書とではなく、門弟に対する良忠の講説が基になっている。つまり良忠も門弟に対し、善導「五部九巻」や法然の著作を講義するという形式で、教育を施したのである。