迦才『浄土論』第五章においては、念仏による浄土往生の経証として十二部の経典と五部の論書が挙げられており、そこに迦才自身の私釈が述べられている。その私釈に注目して「十二経七論」を提示した意図などについて考察を加えた。迦才は念仏のみに特別な地位を与えているわけではなく、阿弥陀仏の浄土に往生するためには、どんな方法でも実践するということを主張していることを明らかにし、それが『浄土論』全体を貫く、迦才の姿勢、信仰であることを明らかにした。