浄影寺慧遠の仏身仏土論は菩薩の修行階梯にしたがって感得する仏身仏土が相違するという、衆生の側に立った仏身仏土論である。それに対し、道綽、善導は仏が出現する世界によって仏身を規定する、仏の側に立った仏身仏土論である。この両者の相違は感応思想の影響の有無にあるが、中国仏教では鳩摩羅什以来、感応思想に基づいた仏身仏土論が一般的なものであったことを論じた。