浄土教では、人間は阿弥陀仏という救済者と対峙していると定義される。この論文では、中国唐代の善導と、浄土宗の開祖である法然の思想から、「人間定義の新次元」について論じた。
善導は、阿弥陀仏は「既に」成仏しており、現在の人間は「いまだ」成仏していない、と考えている。つまり善導は、阿弥陀仏と人間の間には断絶がある、と考えている。
しかしながら善導は、人間が称名念仏をすれば、阿弥陀仏と人間の間に「三縁」という関係性が生じると言う。「三縁」は称名念仏をする場合に限り成立するのである。何故ならば、称名念仏は阿弥陀仏が選択した行だからである。
法然は、阿弥陀仏が称名念仏を選んだのは、すべての人間を平等に救う為である、と言う。つまり「平等」が阿弥陀仏の視線なのである。
善導は、人間が仏の視線でお互いを見ることを願っている。つまり、平等の慈悲を以て他人を見よう、というのである。善導の「平等の慈悲を以て他人を見る姿勢」に立ち戻ることで、「人間定義の新次元」が見えてくる。