迦才『浄土論』は、道綽の教義を継承・発展させたものだという評価がなされてきた。しかし迦才は道綽と同じく時・機・教一致の必要性をとりながら、道綽の教判である『聖浄二門判』を用いず、独自の教判をしており、浄土教の位置付けが相違しているなど、道綽の教義を継承したものとは言い難い、ということを指摘した。