中国隋・唐代における阿弥陀仏の仏身は、浄影寺慧遠など諸師は応身、道綽・善導は阿弥陀仏を報身とする。それに加えて慧遠の仏身論そのものに対して批判していると考えられる。すなわち慧遠は三身論を真応二身論の延長で捉えているが、道綽・善導は三身それぞれの役割を明確にした上で、阿弥陀仏を報身している。そこには阿弥陀仏応身説と、二身論で仏の三身を規定することに対する批判があることを指摘した。