『点石斎画報』(1884.-1898)の主編画師を務めた事績において著名な呉友如に注目した一篇である。『点石斎画報』のインパクトが強いため、ジャーナリストしての印象を今日に強くとどめる呉友如であるが、彼の実際の意識は「年画師」という伝統的な職業の上にこそ存在していた可能性が強いと考えた。そこで、呉友如における「年画師としての自意識」に視座を据え、その視点より、報刊経営や年画のプロデュース等、さまざまな領域に及んだ呉友如の“近代的”業績を俯瞰した。最終的に本論は、呉友如は徹頭徹尾「年画師」であり続けたのではないかとの結論に達した。